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三菱(堀越)vs中島(小山) (笑) [航空機]

78808.jpg世間では、宮崎駿氏の最後の監督作品となった「風立ちぬ」が大ヒットしているようですが、天邪鬼の自分としては、航空マニアの端くれならば誰でも知っていそうなことを、さも最近になった分かった新事実のようにコメントを付けるマスコミに、少々ウンザリ気味・・・。
しかも「堀越氏=零戦」の様な扱いですが、氏の設計した飛行機は他にもあるし、そもそも日本軍の戦闘機は零戦だけでは無い!!
という訳で、天邪鬼な自分は、このブームの中で「堀越&三菱」の影に隠れてしまった感のある「小山悌(やすし)氏&中島航空」との勝負を企画!!(笑)

J2M.JPG堀越氏の設計した機体で、零戦以外に太平洋戦争に使用された機体と言えば、この局地戦闘機「雷電」。
当時、600km/hを超えると急激に空気抵抗が高まるとの考え(結果は杞憂)から、延長軸を設けて空冷エンジンの機首を絞った独特なスタイルですが、そのため振動や視界不良を抱え込む羽目に・・・。
st30.jpg対して、ほぼ同時期に同様の迎撃機として開発された2式戦「鍾馗(キ44)」は、エンジンの後方から尾翼にかけて真っ直ぐに絞り込んだ、独のFW190と似たシンプルなスタイル。
エンジンの気難しさは有ったようですが、基本設計による問題は少なく、延長軸等の対策に追われた雷電より配備は早いことから、軍用機としての戦力度合いを比べれば、こちらの勝ちかも?
ちなみに個人的な好みからすれば、自分は雷電は結構好きな機体です。(ダメな子ほど可愛い…!?)
ただ、零戦と比べた場合、一般ウケするデザインでは無いとも言えるので、映画の「美しい機体を求めた」と言うイメージが崩れる可能性もあるのが、あまり雷電が話題に上がってこない理由の一つではないかと、自分としては疑ってます・・・。

A7M_2.jpg次に堀越氏が手がけた、というか氏の手がけた最後の戦闘機がこの「烈風」で、しかも結局戦争には間に合わなかったいう、ある意味軍用機としては“予選落ち”とも言える機体となりました。
まあ、日本軍機には付き物のエンジン選定問題等に翻弄されましたが、生産機数が試作8機では優秀性を議論する以前の問題に・・・。
hayate9.jpgそれに対し、約3,500機と日本軍機第3位の生産数を達成し“大東亜決戦”と称された4式戦「疾風(キ84)」
烈風が実質未完とすれば、大戦初期の主力機である零戦&隼の後継機開発競争については、三菱・海軍側の完敗と言って良いかと・・・!?

生産数.jpg両氏の零戦、隼以降の戦闘機の生産数をWikiのデータで比べると、ほぼ同数と言える結果ですが、後半は完全に小山&中島組の勝利で、特に目立つのが、堀越氏の機体に占める零戦の比率の圧倒的高さ!!
堀越氏の機体と比べての小山氏の機体の数量比を見ると、隼は半分程度ですが鍾馗は倍で、疾風に至っては、そもそも比較するのが間違いと言うか、エラーデータのレベル。
まあ、この数字を見れば「堀越氏=零戦」と言われるのも無理からぬ事で、その理由としては、激務により倒れて療養期間が有ったことや、陸軍機に比べて空母での運用も求められる艦戦は、設計上の制約も多いことも一因ではないかと?

ROLLS.JPGそれ以外にも自分が引っかかるのは、当時の日本の航空技術に対する評価が過大に見えること。
機体の設計だけならまだしも、エンジンやプロペラ等の補機類と、その品質を支える工業力は、当時の日本と欧米とは雲泥の差が有ったはず。
なんせ当の堀越氏も、毎度、低出力のエンジンで高性能を求められた苦労からか「ロールス・ロイス マーリンを使って機体の設計ができる英国の技術者を、常々羨ましいと思っていた!!」と愚痴ってますし・・・(笑)

ちなみに良く有る「理想の上司」としてみた場合、YS-11の開発記を読んだ限りでは、堀越氏は結構神経質なタイプなようで、自分的には「飛燕」の土居武夫氏や、二式大艇から戦後の新明和飛行艇と続く菊原静雄氏の方が、人としては付き合いやすいような気が・・・?(笑)
タグ:航空機
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ミウラSV

こんばんは!
実は雷電は好きな戦闘機です。あと飛燕とか。
>当時の日本の航空技術に対する評価が過大に見えること。
間違いなく過大ですよね。
機体は良くとも発動機ではいいのが出来ませんでしたし、液冷は信頼性に乏しかったみたいですし。
特に過給機は難しかったのか、高高度では・・・
今のイメージがあるのか、単にマスコミの勉強不足なのか。
それもありますが、煙草問題までごちゃごちゃと。それだけ注目される人の作品てのは判りますが、何でもかんでもいちゃもんつけるのは最近の風潮なんですかね。
by ミウラSV (2013-09-23 20:30) 

ひまねね

こんばんは~、
終戦間際に国営化されてしまった中島飛行機、そのためなのか?律儀に資料を殆ど燃やしてしまったと言うのが悔やまれます。

そういえば、月初に百里基地関連で検索していてヒットしたのですが、朝鮮戦争時に米軍が急遽F-86の偵察型を作る事になり、依頼した新三菱重工(当時)の改設計主任が堀越氏だったそうです~・・・知らなかった。

おまけですが、今日千葉で不時着してしまったエアロスバル関連で検索していたら、こんな物を見つけてしまったので、お暇ならのぞいて見て下さい。
ttp://a15ff11300g.sakura.ne.jp/column/hikoukiyarou%20no%20tsuioku/hikoukiyarou%20no%20tsuioku.html

それでは~。
by ひまねね (2013-09-23 22:19) 

ZENON

>>ミウラさんへ
先日の特集番組で「堀越は欧州ではなくアメリカから学んでいた・・・」と意外な発見みたいに言っていましたが、零戦のプロペラは米ハミルトンのライセンス品ですし、そもそも欧州は水冷(液冷)主流で、アメリカは日本と同様に空冷が主流でしたから、ある意味当然の流れで「イギリスやフランスだと思っていた・・・」と言う評論家のセリフには、イギリスはともかくフランスはどうよ?と思いました。
(もっとも機体はともかく工業品としての補機類はフランスのほうが進んでいたのか、疾風のプロペラの可変機構は、フランスのラチエでしたし・・・)

>>ひまねねさんへ
堀越さんがそんな仕事を受けていたのは初耳ですが、偵察型と言うのが微妙なところですね~。
エアロスバルの不時着は、ひまねねさんのカキコで知って検索してみましたが、安食の対岸の飛行場から飛んだ機体のようで、不時着写真を見ても対して壊れていないのは、やはり着陸速度が低いせいですかね?
ちなみに検索したいたら、改造模型ですが、こんなまさに「エアロスバル!!」と言ったものを見つけました(笑)
ttp://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/002/833/97/N000/000/003/129307463715016202438_20101223.jpg

by ZENON (2013-09-23 22:53) 

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